オタクリ!

腐女子でオタクなクリスチャンの生態系

この境界線から何が見えると思う?

 

私の名前はきり。

20代後半の独身女性で、実家には二人の可愛い妹がいる。

趣味はゲームとカラオケとBL漁り。

最近のマイブームはTRPGとFX。

 

そしてクリスチャンだ。

ついでに言うと働いている会社は全員クリスチャンである。

 

この時点で「はあ?」ってなる人は、けっこうキリスト教のことを知っている方なのではないかと思う。

世間一般のイメージでは、クリスチャンは清く正しく穏やかで、禁欲的に生きているらしい。

もっと言うとFPSでえげつないプレイとかしないし、エロ動画とか見ないし、ギャンブルみたいな金稼ぎとかしない。

さらに付け加えるなら、一般的に「同性愛はアウト」「殺生アウト」「偶像崇拝禁止」と言っている聖書を読んでいる人々が、腐女子でゲーマーで、クトゥルフ神話で「いあいあくとぅるふ!」(邪神を讃える言葉)とか叫んだりしているわけがないと思うわけだ。

全くもって、脱帽するほどに正しい。

 

クリスチャン人口が1%以下と言われるこの日本において、特定のキリスト教知識だけは一般的に広がっていて、クリスチャンの清廉なイメージが形成されている。

このある意味栄誉ある経緯についてゆっくりじっくり調べるのも楽しいかもしれないが、今回はそういう趣旨ではなくて、どうしてこのブログを作るに至ったのかを簡単に書いておきたい。

(なぜって、最初に書いておかないと本人が忘れちゃうからだよ!)

 

今まで、こういう文化との境界線に揺れるクリスチャンの姿は、主に外来宗教としての立場から対仏教・対神道の文脈で描かれることがほとんどだったように思う。

でも現代日本を生きる私たち特に若いクリスチャンにとって、それは「最大の」問題ではない。

私たちの葛藤は、もっと日常に潜んでいる。

お金。娯楽。恋愛。

ひとたび口に出してしまったら、危うい均衡の上に辛うじて成り立っていた日常が、いとも簡単に崩れてしまう、そんな爆弾のような葛藤を抱えて、私たちは生きている。

 

まるで息を潜めて隠れているように思われても致し方ない。

私自身、仲間の誰にも、この葛藤を打ち明けたことはない。

私の信じる神だけが知っていればいいことだと思う程度には、私は自分が可愛い。

 

この文化の境界線上から見える景色はだいぶ歪んでいて、その救えなさに絶望した時期もあったけど、それでも一周廻って、ふと思ったわけだ。

この景色って、けっこう面白いんじゃないか?って。

 

決して開き直ったわけではない。

普通に毎日楽しいけど、それでも罪悪感はあるし、自分が嫌になる。

それに、「これを読んで少しでも楽になる人がいたら…」とか聖母も唸る公共的な思いを抱いたわけでもない。

ついでに言うなら、重箱の隅をつつき続ける科学の潮流に乗っかったわけでも…ない…と思う。

 

ただ、独り占めしておくには、この景色はもったいないと思ってしまった。

口から言葉が溢れて止まらない。

まだ自分と一番近しい方々にはカミングアウトできないけど、いつか笑って話せる日が来るって信じてる。

だって面白いから。

 

というわけで、「オタ」クな「クリ」スチャンの日常、始まります。