オタクリ!

腐女子でオタクなクリスチャンの生態系

月の土地の政治性と宗教性〜ヘタリアの武装地帯から〜

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「この作品は実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません」という注釈がある。

 

よく見る。
あまりによく見るので、空気の如く気にも留めない存在だ。
字面は右から左に流れ、まともに意味を考える機会すらない。
それぐらい創作活動に必要不可欠な言葉。

 

でもこれ、書いたからといって全てが許される魔法の言葉なわけではない。

 

ちょっと前に、大河ドラマ真田丸」で関ヶ原の戦いが速攻で終わったのに文句が寄せられたことがあったのだが、それに対して三谷幸喜は「この作品は実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません」などとは当然弁明しなかった。
「“史実を追求した結果”、たった6時間で終わってしまった天下分け目の戦いの雰囲気を表現したかった」と言ったから、「やっぱ三谷幸喜はスゲーーーー」のである。

 

魔法の言葉のような免罪符が一人歩きしているが、その言葉は使用者が思っているほど万能ではない。
ちなみに私が「言ったら負けだ」と思っている二大免罪符は、

  • 「この世の全てと無関係」
  • 「キャラ崩壊注意」

なのだが、キャラ崩壊注意はひとまず置いておいて、「この世の全てと無関係」って言葉について考えてみたい。

 

私はクリスチャンだけど、仏教の縁起の考え方は概ね肯定する。
「本質だけが単独で存在することはできない」という部分だけはクリスチャンとして受け入れ難いけど、「この世のあらゆるものには相関関係がある」ということについてはなるほど尤もだと思う。

 

いや、だって普通に考えて、「この世で生まれたもので、この世と全く無関係のもの」って、存在できるだろうか?
逆に証明というか、そんな存在があるなら私に教えてほしい。

 

その上で「この世の全てと無関係」って、

もうギャグとしか言いようがない。

ちなみにきりの専門は社会学なので、ますます無意味な言葉に思える。

 

しかしこの言葉、腐女子の二次創作現場では思ったより使われる。
特に歴史モノのジャンルや、史実を題材にした作品でよく見かける。

 

単純に「すげぇな」って思う。
まるで書き手が一方的に関係性を断ち切る権限を有しているようで、厨二病的な目線からすると痛々しいほどに格好いい。
どんなに他人が「んなわけないやろ」って言っても、当の本人が知らぬ存ぜぬを貫き通しそうな強かな雰囲気がある。
中にはふざけたり深く考えずに書いている人もいるかもしれないが、だとすれば尚更性質が悪い。

 

これを書く心理って、
「自分が想定していなかった、あらゆる責任追求から逃れたい。つまり勝手にやらせて」

以外の何物でもないと思うのだが、このたったの一行で、生みの親が子どもに対する責任を放棄できるとでも思っているのだろうか。

 

この問題が非常に繊細に関わってくるジャンルのひとつに、かの有名なヘタリアがあるので、ちょっと引き合いに出したい。

 

※いまどき腐った話題でヘタリア知らない人もいないと思うけど、一応説明しよう!
ヘタリアとは、あろうことか国を擬人化して、史実を面白おかしくギャグ風味で描いちゃってる、治外法権日本でしか生まれ得なかった奇跡の産物である。
登場するキャラクター(国の体現)たちは、それぞれの国のイメージをかたどって出来上がっている。

 

私の推しのプロイセンを具体例にして話そう。
プロイセンという国自体は、「国家を有する軍」と呼ばれた特殊な成り立ちの軍事国家で、優れた軍と法の整備でドイツの礎を築いた。(ここまでテンプレート)

 

で、プロイセンをかたどったキャラクター、紛らわしいので以下ギルベルト・バイルシュミット(ギル)は、どんなキャラになっちゃったかというと、

  • 銀髪紅眼の厨二病
  • ぼっちで不憫
  • 俺様なウザキャラ
  • ドイツに兄貴風をふかす
  • 現役を退いた自宅警備員

てな具合である。
うん、改めて見ると字面がひどいな。
これだけでドイツ人が怒り出しそうな内容だ。
いや、やればできる子なんだぜ。

 

彼は

  1. 聖母マリア病院修道会
  2. いわゆるドイツ騎士団
  3. プロイセン公国
  4. プロイセン王国
  5. 東ドイツ
  6. カリーニングラード(ロシアの飛び地)

という嵐のような経歴を持っている関係で、二次創作のネタには事欠かず、様々な設定が付与される。
病院設定(医療に明るい)、修道会設定(敬虔なキリスト教徒)、ギル消失ネタ(連合の解体宣言を受けて既に国家を有さないため)などなど。

 

更に言うなら私の本命であるルーギル(ドイツのキャラクター:ルートヴィッヒ×ギルベルトのカップリング)なんてのは、

  • 「兄弟(弟×兄)」
  • 「主従(王×騎士)」
  • 「師弟(弟子×師匠)」
  • 「嘗ての敵同士」

など、属性過多も甚だしい。

 

東西分断からの劇的な壁崩壊、そして統一とオスタルギー、マイナーどころだが激熱なプロイセンクーデターまで、史実ネタも大変豊富。
奇跡的に仲良しな兄弟発言など、度重なる公式の爆弾投下に現時点で第八次東西ショックまで番号がついているほどには、話題に事欠かない。
いや本当に、兄を踏み台にして弟がのし上がったにしてはな、奇跡的な仲良しなんだぜ…!

 

話が逸れたので元に戻そう。

現代ネタが豊富なせいか、はたまた領民が最初から過激なのか、普領周辺は炎上しやすい。

(知らない人のために補足すると、ヘタリアでは推しの漢字表記+領で、その推しのファンを指します。よく言ったものだ)

よく普領を爆心地として抗争が勃発するので、私は密かに普領周辺を「武装地帯」と呼んでいる。
直近で印象深かったものとしてはやはり

「普領月の土地購入事件」

があるだろう。

 

※普領月の土地購入事件…
2014年10月31日(ドイツの宗教改革記念日)、本家に投稿された漫画のネタ「俺様プライベートコンサート」において、ギルの消失を匂わせる描写がなされたことで、推しが居なくなるのではと普領全体に激震が走った。その結果、国土を持たない彼の代わりに月の土地プロイセン名義で購入することで、彼の存在意義を守り消失を防ごうとする領民たちが現れ、炎上した事件。

 

「一般人の目に触れる場所で国名を出すな」
「でもじゃあ誰かが蜀とかの名義で土地買っても別に誰も何も言わないよね?」
「思想として国民の心の中に生き続けているプロイセンへの愚弄」
「別に本当に月の土地買ったわけじゃなくてジョークアイテムだし勝手にすればいいのでは」
などなど、様々な意見が飛び交って例の如く学級会が沸き起こった。

 

「この世の全てと無関係」を貫こうとする態度に比べれば大変けっこうなことだと思うが、こういったヘタ界隈での度重なる論争に疲れ果て、ひっそりと亡命していく領民も居なくはない。
かく言う私も俺様プライベートコンサートショックのごたごたで「めんどくせーーーー!」としばらくヘタリアから離れていた一人で、twitterの普領周辺はここ辺りでごっそり面子が入れ替わっている印象を受ける。

今でも普領の前で「コンサート」とか「フルート」とかいう単語を出すと彼らは頭痛に苛まれるだろう。

 

この現象で何が正しいことなのか言うことは難しいが、ひとつ言える事実は、この事件に心を痛めた人は確かにいるということだ。

そして、巻き起こした人々には悪意や自覚は微塵もなかったということ。

 

人は自由だ。でもやっていいことと悪いことはある。
そしてその判断と「自分と世界がどれくらい関係あるか」は全くの別物だ。
だって自分が発信した情報や行動の結果は、ひとたび身体から離れた瞬間、最早自分のコントロール下に置かれない。
「自分と世界がどれくらい関係あるか」を判断するのは自分ではない。
「それがどれくらい重要なことなのか」は、判断するのは自分ではなくて周りだ。

 

炎上した後で「そんなつもりで言ったんじゃなかった」という人がいる。
確かに悪意ある引用をされたり情報を捻じ曲げられたりと、明らかな被害者であることもある。
見抜けずに条件反射的にバッシングすることも良くない。
でも、だからと言って、自衛しなくていい、自制しなくていいとは言えない。
道端に無記名の(当たり前だが)一万円札を置きっぱなしにしておいて、盗んだ奴が100%悪いと誰が言えるだろう。

 

自分の持ち物の使用という次元の話であれば、傷つくのは自分だからまだいい。
私が何より忌避するのは、それによって傷つく人がいるという事態だ。

 

ときどき、二次創作を読んでいて、「クリスチャンとしての私が傷ついている」と自覚することがある。
ギルベルトや登場人物の口を通してキリスト教の考え方や歴史を否定されたり(批判は甘んじて受け入れる。特に十字軍辺りの描写は大変よくある光景だ)、神に反抗的な態度が良しと描写されるときだ。
本人は傷つける意図で書いたのではないので、私が勝手に傷ついているだけで、別に地雷問題みたいに書いた人に文句を言いたいわけではない。

 

ただ、断ったからって堂々と好き勝手言っている人、もしくは自覚なく好き勝手言っている人を見ると、危ないなーって思う。

だって大丈夫なんて誰も保証できないのに。

 

ヘタリアが生まれてくる国:日本って、無宗教を謳うが故なのか、自分の政治性とか宗教性にひどく無自覚な発言が多いように思う。

その結果、宗教性・政治性に対する反応が、下記のように両極端になってしまうのだ。

  • 「政治」「宗教」に直結する語彙→過敏に反応して忌避される。
  • 「政治」「宗教」に直結しない語彙→政治性・宗教性が徹底的に無視される。

 

「この世の全てと無関係」という言葉には、この二つの相反する、しかし原点は共通のエネルギーが込められている。

 

普領月の土地購入事件は、

使用者にとっては『「政治」「宗教」に直結しない語彙』であった「ギルベルト・バイルシュミット」を意図する「プロイセン」という語彙の政治性・宗教性が徹底的に無視されてしまったこと、

そして周囲に認識された「プロイセン」という『「政治」「宗教」に直結する語彙』が過敏に反応されて忌避されたこと、

この二つが悲劇のように折り重なって勃発した。

 

政治性と宗教性がない言葉はあらゆる文脈において存在し得ないと、私は考える。

というか何かしらの思想信条がある人は、一般的に自分の発言の政治性とか宗教性には敏感だ。

だからといって、いやだからこそ、アレルギー反応は起こさない。

 

どちらも敵に回しそうで若干怖いのだが、

プロイセン名義で土地を買った普領民には「「プロイセン」という言葉を使いながら政治的文脈から切り離されたキャラクターとして存続し得ると思ったのか?」と問うてみたいし、

それを叩いた普領民には「では「プロイセン名義の架空の月の土地」の政治性と、あなたが普段書(描)いているギルベルト・バイルシュミットという紛れもなくプロイセンを題材としたキャラクターの政治性の差異は何なのか?」と尋ねてみたい。

一般人の目に触れないからって政治的文脈から切り離されはしない。

 

別に批判しているわけではなくて、自分で言うのも何だが、こういうことを言っているときの腐女子の心理の二重構造について単純に聞きたいのだ。

 

ついでに言うとヘタリア自体が悪いと言っているわけでもない。

ヘタリアが世界史の勉強になって授業が楽しくなった!外国人とのコミュニケーションのきっかけになった!などという良い話も聞く。

ただステレオタイプの量産、国内の差異への意識の欠落、欧米中心の歴史観の助長などなど、弊害もたくさんあるから、ゴールではなくあくまで入口であってほしいというのが私の願いだ。

その上で、アレルギーを引き起こすのでもなく、かといって鈍感になるのでもなく、淡々とこのヘタリアという所業の政治性と宗教性に向き合うべきだと思う。

 

自分の政治性と宗教性を認識する。

それは偏りをもたらす行為ではなく、自分の偏りに気付いて、バランスを生み出す行為だと私は、私たちは思っている。

責任から逃れたくなる時もあるだろう。でもこの世の全てと私たちは関係している。

私たちがどんな自覚を持とうと、この関係が切れることはあり得ない。

唯一不可侵なのは神だけだ。

 

ちなみにクリスチャン腐女子としての私は、

イスラエルを擬人化したらどうなるんだろう、

とか、ここまでの話が台無しになるようなことを考えている。

(ぶっちゃけヘタリアイスラエルを擬人化していないからギリ国際問題にならずに済んでいると思っている)

こんなバカなことを考える腐女子が他がいるなら、ぜひお目にかかって語り合いたいものだ。